プロフィールPART2

引き続きプロフィールをお読み頂きありがとうございます。

前回の
〜2011年 アホすぎる幼少期・・・学年最下位で留年間近
では幼少期から留学に至るまでの経緯について話しましたが、
今回は留学へ挑戦しそこからの地獄生活の始まりをお話します。

<第2章>
2012年 一歩間違えば逮捕?お金がなさすぎた学生時代

どうしても大学生になりたい!怒涛の2ヶ月追い込み

前回のICHIの軌跡PART1でもお話したように、
僕は大学受験に失敗し大学生になることが出来ませんでした。

そんな僕を横目に周りは大学生を謳歌し始めており、
facebookや当時人気だったmixiに大量に投稿がありました。

どうしても今年中に大学生になるんだ!!
と覚悟を決めたものの僕に残された期間は2ヶ月。

留学に最低でも必要な資格はTOEFLと呼ばれる試験での点数。
僕の大学の必要点数は71点(TOEIC)で言うと665点。

日本の大学の試験が3月に1日に終わり、
結果が不合格と聞いてから残された期間は2ヶ月のみ。

しかし、
僕のその時の点数は38点であり(71点が合格ライン)
高校生レベルの英語〜大学生以上のレベルへと
一気に引き上げる必要があります。

残された試験はあと1回のみであり、
そこから1人での怒涛の勉強合宿が始まりました。

リスニングのイヤホンは24時間入れっぱなしであり、
日本語は本当に必要な時以外一切しゃべることはなし。

起きたらすぐに音読をひたすら繰り返し、
とにかく起きてる1日14時間以上ひたすら勉強してました。

“大学生に早くなりパイロットになりたい!!”

ただその一心でがむしゃらにやっていたのは不思議と辛くなく
あっという間に2ヶ月という月日が過ぎいよいよテスト当日。

今までよりも間違いなく実力がついているのを実感し、
“不合格でもやりきったから仕方ない”
そんな不思議な気持ちに溢れてました。

そして3週間後に見事1点差の72点で合格ラインを超え、
努力し結果を得るとはこういうことなのかと初めて実感したと共に、
やれば自分って出来たんだ!とても嬉しかったのを思いだします。

合格通知の2ヶ月後にアメリカに渡り、
いよいよアメリカでの生活のスタートです!!

水が頼めない、通じない、友達もいない

僕が留学したのはアメリカでもど田舎の
North dakota state university(ノースダコタ州立大学)
です。

ニューヨークやロサンゼルスは日本人が多すぎる為、
英語を話せるようにはならないと先に留学した友人を見て思っていたので
敢えて日本人が数人しかいないど田舎を選んだのです。

当然田舎となればアジア人が少なくなるわけであり、
アクセントがきちんと出来ないと通じることはありません。

Soccerやwaterという単語でさえもRの発音1つで通じず、
迷子になれば2時間自転車で走り回るという事態にも発展するのに加え、
レストランで水を頼んでもwaterが通じずオーダーが出来ない!!

だから僕はとても簡単に発音ができる
“コーク”つまりコーラを毎回注文するしか出来なかったのです。

そんな辛く毎日本当に悲しかった生活も1ヶ月を過ぎると不思議と慣れ、
通じるレベルでは話せるように英語も上達していました。

ただし、
当然学生といえば遊びたいという思いが芽生えますが、
お金がなさすぎて外食もロクにすることが出来ません。

“お金がない・・・”

そんな無力さからバイトをしようとしたわけですが、
実は外国人のアルバイトはアメリカでは違法です。

一歩間違えば強制出国にもなりかねないので我慢し、
毎日自炊をしたりと勉強のみの毎日を過ごしてましたが
実はある息抜きにいったことからお金を稼ぐ方法を思いつきます。

バッグ2つで初めて稼いだ6000円!!

大変な大学生活を耐えれば夏には3ヶ月にも及ぶ夏休みがあります。

その夏休みに友人と一緒に隣の州であるミネソタ州に遊びに行きました。

minnesota

ミネソタのミネアポリスと呼ばれる都市はアメリカ1運転が荒いと有名ですが、
そこに初運転で乗り込みクラクションの嵐を浴びたことは良い思い出です。笑

そんなミネアポリスという都市は全米一巨大であり
年間4000万人もが訪れる“MALL OF AMERICA”があります。

mallofamerica

お金のない僕はここで買うことは出来ないので、
ウィンドウショッピングを楽しみもう一つの楽しみへ向かいます。

それが、
定価の半額ほどで売られている僕の味方“アウトレットモール”
twin

ここには世界的有名なブランドが勢揃いしているだけでなく、
定価の5割〜7割程で変えてしまうという安さが魅力的です。

色々なブランドを見て周りましたが、
その中でもずば抜けて安かったのがCOACH(コーチ)です。

COACHはタイムセールということもあり、
定価の半額の半額、つまり75%引きで商品を購入出来たのです。

そんな激安COACHを見ている時に、
友人に言われたの有る一言が僕の人生観を変えました。

“日本で売ったら利益でるんじゃないの?”

なるほど!!!あったまいいなぁ!!!と率直に思い、
すぐにヤフオクで見てみると普通に売れているのを発見。

即ヤフオクアカウントを作成し、
仕入れてから約1ヶ月後に販売を開始したところ一瞬で売れました。

“ああ・・・これだったらお小遣い稼ぎができる”

そう思ったのですが運転して4時間かかるのが難点でした。

限度額20万のクレカ1枚で月15万稼げないかな・・・

ヤフオクで売ってお小遣いを稼げるのはわかったわけですが、
既に記載しているように僕にはお金が全くありませんでした。

持っているのは学生専用のパルコカード(限度額20万円)
parco

限度額は20万ですがこのカードには実は無限に使える裏ワザがあります。

それが使用した金額をPARCOのATMで即振り込むと
使用限度額がすぐに戻るというもの。

それとアメリカにいる立地をどうにか活かせないかを考え、
1本15万以上するギターを売ることにしたのです。

これを数本売って15万のお小遣いを稼いでみよう!!

と思いましたが在庫を抱えることは当然出来ませんので、
アメリカの業者に片っ端から連絡をしまくりました。

“日本で売れるんだ!!一緒に売らせてくれないか!?”

こんな電話を朝から晩までずっと業者にかけていたのです。

良いとの回答があればそこのギターをすぐに出品し、
Fedexでの翌日配送を使用して即検品して日本へ配送。

そして振り込んでもらったお金は親に報告して、
すぐにPARCOに振り込んでもらう。

そんなことを毎日12時間以上繰り返していたら、
最初の月で15万の利益を本当に上げる事ができちゃったのです。

“これは面白い!!”

自分の手でお金を生み出すという経験を初めてした僕にはとても新鮮で、
かつてパイロットになりたいと思った位の興奮を覚えました。

内緒で休学をし勝負へでた1年間

初月で15万の利益を確保できたことから、
これはもっともっと行けるかもしれない。

もしかしたらこのお金を稼いでいけば、
就職せずに自分で稼いでパイロット免許をとれば
自分の好きなことをしつつ夢も叶えれるじゃないか!

そんな安易な考えを思いついてしまい、
思い立ったらすぐ行動の僕は即大学に休学届けを出してました。

当然・・・親には内緒です。

休学するとなれば当然本腰を入れるわけですが、
そこで僕はなぜか日本に帰るという意味の不明な決断をしました。

ここから僕の一人で稼ぐという道筋が始まり、
本当に死にたくなるほど苦労した最初の10ヶ月間が始まります。

<第3章>
2013年 残額38円の地獄から月収100万までの苦しい10ヶ月

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