プロフィールPART3

引き続きプロフィールをご覧頂きありがとうございます。

さて、
大学の夏休みで発見した各国による商品の価格差により
アメリカで7000円のバックが日本で12000円で売れる経験をしてしまった僕・・・

そんなひょんなことからお小遣いを稼げるということを知り、
大学授業以外の時間をすべて使用してどうにか試行錯誤の末
最初の月にお小遣い15万を稼いでしまいます。

“これは大きな可能性がある!!本気でやってみたい!!”
そんな思いから誰にも相談することなく休学をしてしまうのです・・・

しかし、
そんな期待にあふれ、明るい未来だけを想定していた僕の頭の中には
“財布の中に38円しかなく、おにぎりすら買えない生活になる”
そんな地獄は一切想定されていなかったのです。

<第3章>
2013年 残額38円の地獄から月収100万までの苦しい10ヶ月

おい・・・サイト作成って宇宙人の作業だろ!!

僕が当時お小遣いを稼いでいた方法は既に第2章でお話しているように、
アメリカに住んでいるという土地柄を最大限利用したものでした。

アメリカの中古ギター業者と協力体制を築き販売をしたり、
またはアメリカにいるからこそすぐに購入できる商品を販売し
最初の月で15万を稼ぐことができていたわけです。

しかし、
そんなことを全く考えることなく、
“アメリカにいなくても英語は使えるし日本でもやれる!”
そう根拠のない自信と共に日本に帰国を決意します。

“もうここに戻ることはないんじゃないかな・・・俺は必ず成功する”

そんな思いと共に飛行機に乗り帰国をした1ヶ月後から、
僕は進むべき道がわからなくなり歯車が完全に狂い始めます。

僕がお小遣いを稼ぎ始めていた方法は
異国間取引を個人で行いその差額を利益として得る
という稼ぎ方です。

この稼ぎ方は資金があれば有るほど仕入れができるので
当然その分利益額も跳ね上がります。

当時の僕に融資(銀行などからお金を借りる)をするなどという考えはなく
いかにして仕入れの資金を確保するのかというのが問題でした。

いくらクレジットカードで魔法の使い方(第2章参照)をしたとしても
限界を感じた僕は、より効率化できる方法をネットで探し始めました。

“リスク無くお金を増やせる方法はないか?”

そんな時に見つけたのが、
流行りの時事ネタを扱う事で自分のサイトの閲覧数を増やし、
その閲覧数に応じて得られる広告報酬で稼ぐという方法です。

スクリーンショット 2016-04-24 12.27.04
よく見るこのようなサイトと広告ですね。

この方法ならばブログを作るのにもお金がかからないし、
リスク無く“簡単に”稼ぐことができるじゃん!!

という思いから今まで海外の商品を販売していたのにも拘らず、
このブログを作るという初めての作業に一気に舵を切りました。

しかし、
今でもそうですがブログを作るのにはサイトを構成している
“HTML”と呼ばれる複雑な仕組みはどうも理解できません。

『おいおい・・・宇宙人の作業だろこれ!
本当にスラスラできる人って存在すんの!?』

それくらい意味不明で毎日頭を抱えながら行ってはいましたが、
文章で人を魅了するブログでは僕の力が無さ過ぎました。

そして、
全く結果が出せずにと経済的に更に厳しくなっていったのです。

貯金8万を切り崩す地獄の生活のスタート

そんな当時の僕の貯金は8万円。
後はクレジットカード1枚のみでの生活です。

クレジットカードを使用したとしても返済能力はないので、
当然生活面で一切使用することはありませんでした。

生活が苦しいという理由での借金だけはしたくない・・・

借金は怖いんだ・・・

そんな思いが真っ先に浮かんだ為、
いかにして8万で生きていくのかを考えていました。

宿もないし後どれくらい生きていけるんだろう・・・

成功をつかむために留学までさせてもらったのに勝手に休学
成功すると意気込んで飛び出して見たがこの様・・・
俺ってマジで一体何やってんだよ・・・終わってるじゃん・・・

毎日こんな思いがありましたが、
それでも僕は少しでも稼ぐ為の作業をするしかなかったのです。

成功するとかではなく、
もう目の前にあることをこなさないと生きていけないと必死でした。

何かわからないことがあれば、
会ったこともないネットの向こう側にいる人に質問させて頂き
教えてもらってはまた行動の繰り返し。

そんな生活の繰り返していた時にある誘いが来ます。

“東京で1回やってみたら? 稼げるまでサポートするよ”

どうしてこうも上手く行かない・・・貯金残高38円の虚しさ

“東京で1回やってみたら? 稼げるまでサポートするよ”
ネットの向こう側にいる人をたったこの一言で信頼するのか。

今思えば凄い決断ですが当時の僕に失うものはなく、
“もうこれでやってダメだったらやめてアメリカに帰って死ぬほど勉強しよう”
そう思って東京に向かったのです。

最初は友達3人の家を転々とし、
その次に指導してくれると言ってくれたSさんの元に少しの間住ませて頂きました。

当時の僕が最初に必要だったこと、
それはまず“稼ぐ事”です。

その早く稼ぐという点において最適だったのが
“店舗から特価商品を仕入れてAmazonで売る” 
というビジネスの基本のような稼ぎ方です。

僕が最初に行っていた海外と日本国の価格差を利用した稼ぎ方と同じで
国内に存在する価格差を利用して稼ぐという方法です。

とにかくまずお金を作らないと本当にやばい!!

そんな気持ちと共に朝8時〜夜10時まで
1日14時間以上も外を歩き回っていました。

動かなければ不安が募るばかりで
とにかく動けば動くほど不安が紛れる感じがしたのです。

でも、
そんな努力も虚しく仕入れた商品は売れ行きが非常に悪かったのです。

そして遂に仕入れに使用したカードの支払いに間に合わず
人生初の30万の借金をすることにしたのです。

10万の札束も見たこともないのに、
30万を借金した時の気持ちはなんと言えば良いのかわかりません。

もう人生終わった・・・

ほんとにそんな気持ちもしたのです。

ある程度商品が売れれば販売額が入金になるわけであり、
1日1食で残ったお金は全部商品を購入するお金にあてる。

そんな繰り返しでもどうしても上手く行かない。
何をどうやっても商品が売れていかない。

お金はみるみるうちに減りとうとう残額は38円。

コンビニでおにぎり1つすら買えないあの虚しさをあなたは経験したことがありますか?

あの虚しさと自分への怒り

僕は一生忘れることはありません。

商品も売れない、お金もほんとに底をついた時、
どうして売れないのか?
ふとそんなことを初めて考えてみたのです。

そもそもなんで僕の商品だけ売れないんだ??

当時の僕は最初こそ適当に価格差のある商品を仕入れてましたが、
徐々にちゃんと需要のある商品を仕入れるようにはしていたのです。

それでもなぜか僕の商品は売れていかない。

きっと商品の数が足りないに違いない!!

とにかく売る為に新しい商品を入れないといけないんだ・・・
そんな焦りから原因を考える気力さえなかったです。

とにかく行動してることによって
不安を紛らわすことがとても楽でしたから。

ただお金も気力も底をつき始めた時に、
初めて今持っている商品をいかに売るかを考え始めたのです。

僕が犯していたミス・・・

それは、
日々変動する商品価格帯を無視して価格を設定したことで、
僕の商品の販売額が単純に高かった。
ただそれだけでした。

歯車が噛み合うか合わないか

それは本当に本当に気付くようで気づかないことであり、
そして身近になさそうに見えて一番身近に有ることだと気づいたのです。

その原因を見なおしてやっとのことで歯車が回り始めました。

こんな小さなことに気付きやっと希望の光が差し始めたのは
東京に来てから10ヶ月経過した時です。

そして、
最後に居候をさせてくれた友達の家で過ごし始めて
8ヶ月が経過した時のことだったのです。

やっと光が差し込んだ・・・

そう思ったのもつかの間、
今度はアメリカに留学していたことが仇となり、
本当にアメリカへ帰国になるのかと不安視したことが起こるのです。

日本人なのに・・・日本語が普通にかけない屈辱

店舗から仕入れてAmazonに販売する。

そんな稼ぎ方をしているのと平行して、
日記のような形でその日々の記録を記載していました。

そんな生活を続けているとやっとのことで売上も上がり始め、
やっと月商で100万近くに迫るまでに至ったのです。

結果が徐々に出始めるのと同時にブログに質問や
教えてほしいという依頼が入るようになりました。

“自分の知識を人に教えることもできるんだなあ!!”

そんな思いから自分の知識を公開しつづけるのと平行して、
指導の為にわかりやすくまとめ始めたのです。

しかし、
ここでアメリカに留学していたことが仇にでます。

なんと、
アメリカに長いこといたせいで文章の順序が逆になり、
まともな日本語すら書くこともままならない状態になっていたわけです。

“昨日図書館に行った”

そんな簡単な文章を僕が書くと、

図書館に行った“昨日”

という実になんちゃって日本人的な文章に。笑

英語が使用出来て喋れるという武器が完全な仇となり、
まずは小学生の様に日本語の順序を治すことから始めました。

僕は打ちこめば没頭するタイプなので、
隙間時間があれば本を読み込み脳みそを日本語脳に修正することを徹底しました。

指導することにおいて論理的に説明したり、
言いたいことを簡潔に、なおかつわかりやすく伝えるために文章能力は必須です。

ですが、
僕の文章は完全に中学生レベルの日本語であり、
人の心を文章で動かす事ができる程の文才も当然ありません。

むしろ、
見た瞬間に閉じられる文章を得意としており、
Kさん(僕の起業人生の中でいつも相談している恩師)に見て頂いた時は
『見る価値がないから書きなおして』
と瞬殺を食らってしまうほどのクズっぷりだったわけです。笑

『見る価値がないから書きなおして』

普通こんな言葉を頂いたらショックでもう依頼をしないんでしょうが、
Kさんは僕のことを思って厳しく言っている。
だからありがたく受け止め必死に書き直し続けました。

なんとしても稼がないといけないんだ・・・

本当にその一心しかなく
その為に睡眠を削り起きてる時間を全て仕入れと文章に費やす
そんな生活をずっと続けていたのです。

やっとたどり着いた・・・月収100万円

毎日睡眠は4時間とっていたかどうかわからないですが、
起きているときはとにかく作業!作業!!作業!!!作業!!!!!

ここまで追い込んででも、
100万を突破しなければいけない理由が僕にはありました。

それは、
大学を勝手に休学した僕の今までの学費を親に支払い、
土下座と共に許しを請うことでした。

勿論自分一人で稼ぎ、
自分の力で稼ぎたいという思いから始めましたが、
まずケジメとして100万はその為の目標でもありました。

そうじゃないと顔を合わすことが出来ない。
これが僕の100万までの大きな理由の1つだったわけです。

文章も書いても書いてもうまくならず、
Kさんともう一人の指導者であるUさんという方にも
直接指導を毎日のようにしていただき毎日怒られていました。

『なんでそんなにレベル低いんだよ!www』

そんな冗談に言っている言葉も笑って返していましたが、
不器用な僕にとって本当は突き刺さる程辛い言葉でもありました。

それでも直接指導してもらえるのは幸運であり、
毎日毎日怒られては直して怒られては直してを約3ヶ月繰り返しました。

そうしてやっと文章も人が読めるようなレベルになり、
同時に僕の指導を受けたい方を集める企画を募集することになるのです。

そして

『2012年の4月21日』

そんな僕の指導を受けてみたいと希望してくれていた方々に、
約15000円で僕の直接指導を販売したのです。

販売開始と同時に一気に雪崩れ込んでくる募集者の方々、
10人・・・30人・・・・50人・・・
1日目の募集で50名の方が参加してくださり終了。

66名入れば100万なわけですが2日目も入ってきてくださり、
最後の募集案内を送って15分

63人



64人




65人




66人







67人

この67人目の方が参加してくださったのと同時に
目標である100万の利益を到達したのです。

その月は結局Amazonでの販売などを合計していくと
最終的に150万程の利益になりました。

100万達成した!!!!!!!!!!!!
よっしゃーーーーーーーーーー!!!!!

とは不思議とならなかったのです。

それよりもずっと冷静でありこの目標を追い求めてきたので

長かった・・・
本当に長かったな・・・

そう思ったのと同時に居候させてもらっている友人の家を出て散歩し
一人で少しだけ涙を流しながら歩いたのを覚えています。

そしてすぐにある決断に至ります。

親にまず謝ろう

100万を突破してから数日後に荷物を僕はまとめ、
ずっと過ごした東京に別れを告げ札幌に帰ることにしたのです。

ハッハハハハ!お前の人生好きなことをやれ。

東京から札幌へ帰る当日、
来た時に比べて自分の荷物が増えていないことに気づきました。

お金がなかったので当たり前です、
冬でも本当に寒い格好一枚で歩いて我慢してました。

やっとこの時が来たかと感慨深かったのですが、
同時に謝罪をすることに対して緊張しあまり覚えていません。

覚えているのは札幌に到着し、
札幌駅内にある緑の公衆電話に立っている事です。

さぁ・・・電話をして謝罪するんだ!
そう決めて帰ってきたんじゃないか!

そう思って受話器を持ち上げるのですが、
電話番号を押してる途中でどうしても切ってしまいます。

なんて言おうなんて言おう・・・
何度も練習して何度も練習してそしてやっとのことでかけたのです。

『もしもし』

いくら強がっていたとしても当時の僕は糞ガキであり、
久しぶりに聞いた親の声に安堵で力が抜けるのを感じました。

震える声で、
『父さんに話があるんだ。』
そう言ってやく2年ぶりに父親に会い全てを明かしました。

勝手に休学をしたこと。
一人で挑戦してみたいとビジネスを始めたこと。

僕の父親も経営者であり非常に厳しい人なので、
本気でぶっ飛ばされるのではないかと土下座も覚悟してました。

が・・・

放たれた言葉が以外でした。

『ハッハハハハ!お前の人生好きなことをやれ
若いうちにしか好きなことは出来ない。
とりあえず札幌帰ってきたんだしラーメンでも食べる?』

怒られることもなく笑われて終わったのです。

あの時を思い出すと自分の選択肢を咎められなかった事が救いであり、
そして2015年に年商1億まで到達したのかとも思います。

人間は決して一人では生きていくことは出来ない。

常に誰かに支えられていることを、
僕はこの帰国してから100万達成までの間に多く学びました。

普通の人生を歩めば10年かかって経験するようなことを
このたった約1年に詰め込まれた様に経験をし続け、
気づけばあっという間に月日は過ぎ去りました。

さて、
月収100万を達成しいよいよ札幌に戻ってきましたが、
後ろめたい気持ちは一切消えました。

正々堂々打ち込んで次は更なる高みへ登ろう

そう覚悟を決めて翌年に日本トップクラスの成績を叩き出し、
指導者、そして商品の販売に更に力を入れ始めるのです。

年商10億へ向けてまず1億への道を御覧ください。

<第4章>
2012年 4月〜 月収740万までの軌跡

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