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1億稼いだ僕の行動理念と、僕が目指す目的地

アルバイトの癖に盲腸なんかで休みやがって!!

 

盲腸の手術を終え退院し、

やっとのことで出勤できた、その日。

 

僕に待っていたのは、

おめでとう!!ではなく、この言葉でした。

 

当時アメリカの大学に留学していた僕は、

アメリカの法律の関係でバイトが出来ませんでした。

 

だから僕が稼ぐのを許されてた期間。

それは夏休みの、たった3ヶ月のみだったのです。

 

たくさん稼いでアメリカに戻りたい!

 

毎日、お金がなくて苦しかった僕は、

そう思っていました。

 

だから、必死に勉強をし、

 

必死に仕事をこなし

 

必死に全てを覚えました。

 

誰よりも早く即戦力になれば、

会社の役に立つに違いない!

 

そう思っていたからです。

 

稼ぎたい!

もちろん、それが1番の理由です。

 

でも、会社の為になれば、

給料を上げてもらえるかもしれない。

 

そう思って頑張っていたのです。

 

その成果は出始め上司にも気に入られ、

全てが順調に進んでいくはずでした。

 

なのに、

それは一瞬にして崩れ去りました。

 

ある日の午後から、

なんか胃痛がずっとするのです。

 

トイレに行っても違うし、

お腹が痛いというよりも胃痛っぽい。

 

なんか変なもの食べたっけ?

 

そんなことを思っていました。

 

ですが、その痛みは次第に悪化し、

座っていることさえ辛くなりました。

 

定時まであと30分・・・

あと30分耐えれば帰れる・・・

 

そう思ってはいたものの、

痛みは悪化し冷や汗が止まりません。

 

上司が何を言ってるのか?

何を指示しているのか、理解出来ない。

 

それほど痛みが激しくなり、

意識が朦朧とし始めました。

 

これはヤバイ・・・

そう思った僕は早退をしました。

 

歩くだけで激痛が走り、

家についた瞬間に倒れ込みました。

 

痛すぎて声も出ない・・・

 

うなだれているうちに意識を失ったのか、

知らないうちに朝になっていました。

 

あ、朝になってる・・・

バイトいかなきゃ・・・

 

そう思った次の瞬間、

半端じゃない激痛が身体を走りました。

 

昨日のそれとは訳が違います。

ベッドから動くことすら、もはや出来ない。

 

それほどの激痛が走ったのです。

 

このまま死ぬのかな・・・

人生で初めて死を意識しました。

 

自分で歩くことさえできない、

着替えをすることさえ出来ない。

 

車椅子に乗せられ、

子供のように抱きかかえられ病院へ行きました。

 

そして、診断を受けた瞬間、

医師が怖い顔をして、こう言ったのです。

 

『3時間後に手術しましょう。破裂寸前です。』

 

盲腸でした。

 

いろんなストレスが溜まっていたのかもしれません。

 

留学では、自由が無さすぎました。

日本に帰国しても友達との遊びを全て断ってバイトに費やしてました。

 

全てを犠牲にした反動が遂に身体に出たのです。

 

なのにこの期に及んで、

 

あぁ、バイト代減っちゃう。

1週間いなかったらどれくらい損するのかな。

 

1日10時間勤務したら8000円

1週間で56000円も損するじゃん。最悪だよ・・・

 

まだそんなことを

意識が朦朧とするなか考えていました。

 

それほどお金がほしい。自由がほしい。

それだけに僕は執着をしていたのです。

 

でも、こんな身体じゃ、

まともに仕事なんて出来ません。

 

だから、僕は、

 

『仕方ない、戻ったら死ぬほど仕事を頑張ろう!』

 

そう割り切ることにしたのです。

 

そして3時間後、

僕は手術室に運ばれることになるのです。

 

手術室に入って早々、

 

『麻酔が入りますよー!』

 

そう医者に言われました。

 

点滴から麻酔が入ってくるのを目で確かめ、

本当にこんなもんで眠くなったりするのか?

 

そう思っていた矢先から、

 

『いーち、にーぃ、さーん、しーぃ、ごーぉ、ろーく』

 

医者が数える数字が大きくなるにつれて

視界の外側からカーテンを閉めるように視界が黒くなっていくのです。

 

そして、『なーな』という数字がカウントされた瞬間

僕の意識は飛んだのです。

 

『すぐに退院して、また頑張ろう』

 

麻酔に完全にかかる直前、

最後にこう思ったのを覚えてます。

 

ですが、この手術の開始は、同時に

 

『僕の会社での居場所を無くす事を意味する』

 

そんなことを、

このときの僕はまだ知る由も無かったのです。

 

就活をし、一流企業に努め、

定年退職までその会社に人生を捧げる。

 

そんな人生を歩むのかな。

 

バイトをするまでは漠然とそう思っていました。

 

しかし、

 

盲腸から退院をし、上司から言われた

 

『アルバイトの癖に盲腸なんかで休みやがって!!』

 

この一言で僕の価値観は、

良い意味でも悪い意味でも変わったのです。

 

すべてが、すべて、

こうではないのかもしれません。

 

ですが、当時大学生だった僕にとって

それが社会のすべてに見えてしまったのです。

 

むこう50年、

このような環境で自分は生きていく。

 

そんな自信は僕にはありませんでした。

 

『大人になれば、稼いで自由になれる』

 

当時の僕は本気でそう思い込み、

その為に勉強にひたすら励んでいました。

 

でも、

大人になっても、自由なんて手に入らない。

 

いや、もっと苦しい生活が待っている。

 

その現実を知った時に、

僕の頑張る意味が消えた気がしました。

 

何の為に頑張るのか?

自分は何を目指しているのか?

 

全てがわからなくなったのです。

 

だから、僕は決めたのです。

いっそのこと全てを捨ててしまおう。と。

 

全て捨ててしまえば、

もう後戻りすることは出来ません。

 

そして、僕はアメリカの一流大学の学歴も、

就職して定年退職まで務めるはずの道筋も。

 

全てを捨てることを決意したのです。

 

そう、全てを捨てて、

僕は『ニート』になったのです。

 

そして、その後、1年で会社を立て、

4年で1億以上の利益を稼ぎ出しました。

 

会社員だったら30年かかる金額を

たったの4年で稼ぎ出したのです。

 

年収で1億を狙い歩んでいる。

 

今はそんな道筋を歩んでいます。

 

でも、そんなことを聞けば、

うさんくせぇって思うでしょう。

 

僕も自分で書いてて思います。

超うさんくせぇな。と。

 

ただでさえ世の中に、

月収30万を稼ぐ方法とか出回ってますからね。

 

youtube見てもツイッター見ても、

そんな広告ばかりで、うざすぎる。

 

そりゃ胡散臭いと思うに決まってます。

 

稼ぐ方法なんて教えれば、

同じことやる人が増えて飽和する。

 

そんなこと小学生でもわかります。

 

ですが、ビジネスっていうのは

本来は奪い合いを生む物じゃないんですよ。

 

逆です。

 

市場を本当は作り出すものなのです。

 

その点を踏まえて僕がどんな理念で、

ビジネスをし今後の展開を図ってるのか?

 

それに加え、

 

僕がどう生き、どういう価値観で、

何をして現状に至るまでの道を歩んだか。

 

全4章にわけて話したので、

ぜひ読んで見た頂ければと思います。

 

それでは、どうぞ。

 

第1章:マンホールにテスト捨てたことありますか?

第2章:最下位? 伸びしろしか無いじゃん。

第3章:大人になるって、セコくなることなのか!?

第4章:日本の教育の酷さx福沢諭吉は、なぜ1万円札の顔なのか?

第1章:マンホールにテスト捨てたことありますか?

小学校の頃の記憶はなんですか?

 

そう聞かれたら、友達と遊んだこと。

それしか頭に思い浮かべることしか出来ません。

 

学校が終われば

ランドセルを玄関開けてぶん投げて、

 

いってきま~す!

 

と叫んで友達の家にすぐに行く。

 

早く行かなきゃ遊ぶ時間が減っちゃう。

そんなことしか毎日考えてませんでした。

 

勉強なんてしたことがありません。

 

だから、テストの点数は低かったです。

 

でも、そんなことは関係ない。

とにかく遊ぶことが楽しくて仕方ない。

 

そうやって僕は暮らしていました。

 

ですが、人間っていうのは残酷です。

 

成長するに連れて、

勉強せずとも知恵がついてくるのです。

 

知恵がつくと、他人と比較をする。

そんな余計な事まで覚え始めるのです。

 

あれ?僕の点数ってなんか低いのかな?

 

それが、

まるで悪いことのように感じ始めるのです。

 

友達のテストの点数が良い。

 

ただ、それだけなら

あの人は頭が良いんだなぁ。

 

ただそれだけで終わったのかもしれません。

 

でも、そうは行きませんでした。

 

なぜか?

 

優秀な姉と兄が居るからです。

毎回100点をとってくる兄と姉が居るからです。

 

自分だけが50点をとってくれば、

親がどういう気持ちになるのか?

 

少し知恵がついてきた子供でも

そんなことはすぐに分かることでした。

 

テストの点数が悪ければ、

なんでお前だけ勉強ができないんだ!

 

そうやって自分の居場所が消えちゃんじゃないか・・・

そんな気持ちがしたのです。

 

勉強を頑張れば良いじゃん!

 

そう思うかもしれません。

でも、本当に勉強は嫌いでした。

 

なぜかはわかりません。

とにかく嫌いで仕方なかったのです。

 

チャンレンジ3年生に挑戦しても

2日しか出来ずに終わりました。

 

とにかく机に向かうことが、嫌で嫌で仕方ないのです。

 

でも、親に嫌われたくない。

そんな思いは子供ながらにありました。

 

ただでさえ、服も自転車もお下がりで

欲しい物を買ってもらった事は殆どありません。

 

買ってほしい!

 

そう言っても、

 

お姉ちゃんのがあるでしょう!

 

お兄ちゃんのがあるでしょう!

 

そう言って買ってもらえないのは、

何度も経験して僕は知ってました。

 

だから、買ってほしい。

そう言うことを、もう辞めていたのです。

 

自分の欲しいものを言っても買ってもらえない。

 

僕はいつも二の次で、兄と姉が優先される。

そう思っていたからです。

 

本来は違うのかもしれません。

でも、そう幼いながら感じてたのです。

 

なのにテストの点数が悪い。

 

そんなことになれば、

僕の居場所はこの家から無くなるんじゃないか。

 

そう思った僕が必死に考えた策が、

マンホールにテストを毎回捨てるって事でした。

 

そんなことをやっても

結局のところ通知表とか家庭訪問でもバレるんですけどね・・・

 

こんなアホなことばかりやって、

僕は小学生のとき過ごしていました。

 

当然、勉強なんてしたことがありません。

 

だから中学に進んでもめちゃくちゃバカ。

それは当たり前の話でした。

 

ですが、ある先生との出会いで、

僕の成績は一気に伸びることになるのです。

 

■ やれるだけやりました!そう1度言ってみろ。

 

中学にあがってもバカすぎた僕は、

ある塾へ入塾することになりました。

 

とは言っても最初の塾で、

驚くほど成績が伸びず2つ目の塾です笑

 

その2つ目の先生が本当に面白くて、

英語とか歌って教えてくれるんですよ笑

 

間違った回答を言ったら、

 

もぅーーマイッチング!とか、

意味不明なことを言ってましたね。

 

本当ユーモアのある先生で、

始めて勉強って少し面白いのかな?

 

って思うことが出来ました。

 

でも、

楽しいと思っても、このポンコツ頭です。

 

普通の人と同じ容量でやっても、

テストで良い点数が取れる訳がありません。

 

そこで先生と一緒にやったのが、

朝9時~夜22時までの1日勉強合宿です。

 

テストの2週間前から、

土日は9時~22時まで塾に居るのです。

 

他の生徒は誰もいないのに、

僕の為だけに塾を空けてくれるんですよ。

 

『昼になれば弁当買ってきてくれ。

ジュース1本好きなの買っていいぞ』

 

ってお金くれるんですよね。

 

マジで神かよって思ってましたが、

その先生がいつも言っていた言葉があります。

 

いいか?勉強が出来ないのは別に良い。

 

だけど、出来ないって言う前に、

やれるだけやりました!そう1度言えるくらいやってみろ。

 

そうずっと言われてました。

 

人の3倍かかるなら3倍やればいい。

 

人の5倍かかるなら5倍やればいい。

 

それでも出来るなら良いじゃないか。

そうやって寄り添ってくれました。

 

普通の人の3倍はかかったと思います。

時間も手間もめちゃくちゃかかったと思います。

 

でも、僕の成績は確実に伸びてきて、

90点以下のテストがなくなっていました。

 

『数学の学年でトップは98点です』

 

そう学校の先生が言いながら

テスト用紙が返された時に、自分の点数が98点だった時は固まりました。

 

これ違う人の答案用紙じゃないよな?

 

って自分の名前を何度も確認しました。

でも、そこに書いてあったのは紛れもなく僕の名前でした。

 

人より時間はかかる。

でも、頑張ったら報われる。

 

積み上げてきた努力が自信に変わり始めていました。

 

そして僕は、積み上げてきた自信と、

積み上げてきた成績である挑戦をしよう。

 

そう決意をするのです。

それが『進学校への受験』でした。

 

現状の合格率で行けば50%・・・

 

少しでも合格出来る確率を上げなきゃ。

そう思い取り組みました。

 

しかし、

受験の直前の模試での判定は70%。

 

元々の勉強の出来なさを考えれば、

ここまで来れた事さえ奇跡に近い。

 

そう正直思っていました。

 

ですが、

僕には高校でやりたい夢がありました。

 

それがスキーのモーグルです。

 

スキーのモーグルはお金がかかります。

だから公立へ行き親に負担をかけない。

 

それは絶対条件としてありました。

 

必死に考えた結果、

合格も夢も叶えられる選択をしよう。

 

そう決意し

合格率が98%の高校を選択しました。

 

今の成績であれば明日受けても、

余裕すぎるレベルで受かる高校です。

 

まぁ、余裕だろう。

 

本気でそう心から思ってました。

 

しかし、結論から言えば、

僕は、その高校に落ちました。

 

受験当日、極度の緊張に襲われ、

腹痛が収まらず爆死したのです。

 

それでも自己採点では、

ギリギリ受かったと思ってました。

 

でも、落ちたのです。

 

誰もが受かると思った高校に、

見るも無残な姿で落ちたのです。

 

仲の良い友達に爆笑されました

 

先生には同情の目で見られました

 

塾の先生は電話越しで無言でした。

 

今でも全てを鮮明に思い出せるほど、

鮮明にその描写が脳裏に刻まれています。

 

思い返せば、

 

なんとなく、ここでいいや。

 

そう妥協して高校を選択した日から、

なんの充実感もありませんでした。

 

どーせ受かるよ。

 

そうやって頑張ることすら辞めて、

何もしなくなっていた自分がいました。

 

合格も夢も掴むはずが、

両方とも手に入れられない。

 

無様すぎて笑えてくる。

それほど、無様です。

 

100%本気で勉強し挑戦したのなら、

やるだけやって駄目だったなら、

 

『仕方がない』

 

そう諦めも着いたんだと思います。

 

でも、僕は志望校を下げた。

その妥協が、もしもあの時に・・・

 

なんて、

しょうもない事を考える余地を与えるのです。

 

挑戦をせず、守りに行った。

その慢心が堕落をうみ不合格を生んだ。

 

そんなことはわかってる。

言われてなくてもわかってるのです。

 

でも、それを認めてしまえば、

自分の過ちを認めることになるのです。

 

認めた瞬間、自分が壊れる。

 

そんな気がしました。

 

だから、

 

その無念を、

 

その虚しさを、

 

『努力なんて報われないんだ』

 

そう都合の良い落とし所を見つけて解消したのです。

第2章:最下位? 伸びしろしか無いじゃん。

努力なんて報われない。

 

そう思い込み自分を正当化した僕は

努力をすること自体を放棄しました。

 

頑張ったって報われないのに、

頑張るとかダサい奴がやることだ。

 

頑張っても報われないなら、

最初から何もやらないの1番。

 

そうに決まってる。

そう自分に言い聞かせてました。

 

でも、

本当はちょっとうらやましいのです。

 

頑張ってテストの点数が

廊下に貼られてる生徒が羨ましいのです。

 

でも、高1からこんな頑張って

なんか意味あんの?とか言ってるのです。

 

努力してるやつなんて格好わるい。

努力なんてしたってマジで意味ない。

 

そうやって、

必死に思い込もうと努力するのです。

 

そうじゃないと、

 

『努力なんて実らない』

 

そう落とし所をつけた自分を

自分で否定することになるからです。

 

そんなことはあってはならないのです。

 

そして、

 

何より、怖いのです。

失敗して傷つくことが、、、怖いのです。

 

挑戦をしなければ、成長をすることもない。

 

だけど、

挑戦をしなければ、傷つくこともない。

 

だから、僕は後者をとりました。

そうやって逃げる選択肢を取り続けたのです。

 

そしたら、

遂に学年でついにビリになりました。

 

学年の平均点が70点のテストで

30点以下をとり一人追試になったのです。

 

姉が主席で卒業した私立高で、これです。

 

同じ名字です。

 

主席で卒業したとなれば、

名字くらいは覚えてるでしょう。

 

ましてや同じ担任です。

 

先生が思っていたかわかりません。

 

でも、姉は勉強できるのに、

お前は落ちこぼれなんだな。

 

そう目で言っている気がするのです。

 

全員が敵に見える。

でも、勉強をする選択肢なんてありません。

 

俺は勉強なんてしない!!

 

そう思い込みたいんですが、

自分より下がいなくなった瞬間に、

自分の仲間が一人もいなくなった気がするのです。

 

本当都合が良い考え方だなと振り返って思います。

 

あんなに勉強しなくて良い!

 

って言ってた癖にビリになった瞬間に、

正直なところ孤独になっちゃってるわけです。

 

でも素直じゃないから、

勉強したいなんてことも言えない。

 

そんな時に僕は、

パイロットになりたい夢を持ちます。

 

夢を持つっていうのは良いですね。

努力をする立派な口実になります。

 

俺は夢の為に勉強してんだ。

ビリだから怖くなって、勉強してるわけじゃないからな?

 

そう言うことができます。

 

別に誰も聞いてきてないんですよ。

でも言うのです。

 

本当アホですね。素直じゃない。

今、書いてて本当に思いますよ。

 

ただ一度本当のビリを知ったことで、

ある意味吹っ切れた自分もいました。

 

ビリってことは、それ以下はないからです。

つまり、伸びしろしか無いのです。

 

努力をしても現状維持か、

またはどうやっても伸びるしかない。

 

失敗がない。そう考えると楽でした。

 

パイロットの為に勉強してるんだ。

 

夢のためだ。

誰にも聞かれてないのにそう言って死ぬほど勉強しました。

 

学年1位の人にケンタッキーおごって、

英語をひたすら教えてもらいました。

 

先生にも教えてほしいって

放課後に職員室に言って勉強しました。

 

言われることは全て聞きました。

 

どうせ自分のこのポンコツ頭で考えても

何の生産性のないアイディアしかでない。

 

そう思ったからです。

 

だから、アドバイスをめちゃくちゃメモして

言われたことを鬼のようにこなしました。

 

楽しかった。

 

新しいこと学んでいくと、

新しい英文が読めたりするのです。

 

当たり前かもしれません。

 

でも、すげぇ!!学ぶのすげぇ!!

って心の中で素直に思ってました。

 

表面上では、

淡々とやってるぜって雰囲気出してるんですが、

内心はもうめちゃくちゃ幸せでしたね。

 

そんなことやってたら教えてくれた人を抜いて、

偏差値75の学年トップになったのです。

 

もちろん英語だけですよ。

他の教科は、ほぼ全部赤点です。

 

おぉ、すげぇ笑

以外に勉強も楽しいかもしれないなぁ。

 

なんて、

ちょっと中学の勉強を思い出してました。

 

でも、結局、

受験には間に合いませんでした。

 

あまりに勉強をしなかった分、仕方のないことです。

 

だから、一浪して今度こそ!と、

合格率98%の大学を受験します。

 

でも、

 

今度こそ!そう思うほどに、

高校受験のトラウマが蘇ります。

 

もしもまた緊張したらどうしよう。

また腹痛に襲われたらどうしよう。

 

また、落ちてしまったら、どうしよう。

また浪人したらまた1年勉強するのかな・・・

 

そんなこと考えれば考えるほど

鮮明に高校受験を思い出し腹痛に襲われました。

 

手汗やばい。

 

腹痛やばい。

 

受験中にトイレに行かせてとお願いする。

 

まぁ、案の定不合格です・・・

 

何ていうんですかね、

悲しいっていうかやっぱり俺って駄目なんだ。

 

みたいな悲観的な気持ちになるんですよね。

 

ショックを通り越して、

俺ってやっぱり駄目なやつなんだみたいな。

 

まわりは一浪終わって開放されて、

もうめちゃくちゃに遊んでいます。

 

自分はもう1年、高校の勉強。

 

なんで高校の勉強を、

卒業してんのに2年もするのは絶対イヤだ。

 

そう思った僕は、

ぶっとんだ策を思いつきます。

 

そう、それが、アメリカ留学。

 

そして、この完全な思いつきが

僕の人生を少しずつ好転させるきっかけとなるのです。

■這い上がれ!初めて掴んだ成功体験

アメリカの大学は卒業は大変だけど、

入学は英語が出来れば入れます。

 

毎週テストもあって大変だけど、

トラウマも払拭出来る。

 

しかも、なんたって大学生になれます!

 

これって、

俺の為に作られた制度なんじゃないの?

 

そう思った僕は学費が日本よりも安く

なおかつハーバード大と同じランクの大学を選び両親を必死に説得。

 

大学に落ちたのが3月。留学の願書の締切は5月。

 

それまでにTOEFLと呼ばれる。

英語のテストの点数が必要です。

 

テストをうけられる回数は2回。

 

もう。死ぬほど勉強しました。

 

これがもう最後の、

自分を変えるチャンスになる。

 

ここで諦めてしまえば、

諦めグセを引き釣り続ける事になる。

 

本能的に、

そうわかっていたのかもしれません。

 

朝8時に起きて、夜22時まで14時間。

 

英語とにらめっこして音読。

寝てる時もリスニングを流したまま。

 

そうして2週間が経過し、

1回目のテストがやってきました。

 

まずここまでの努力をぶつけよう!

そう挑みましたが結果は、惨敗・・・

 

でも、落ち込みませんでした。

まだ、まだだ。次がある。やるしかない。

 

今までなら落ち込む自分が、前を向いている。

 

今回は本気で変われるかもしれない。

そんな小さな変化を自分で感じていました。

 

次のテストは1ヶ月後。

寝ても起きても英語の生活です。

 

日本語を徹底して遮断し、

親ともしゃべることを辞めました。

 

少しでも英語脳にしたほうが、有利に戦える。

 

『自分が出来る全てのことは、すべてやる

そう僕はこの時は誓っていたのです。

 

そうして、迎えたテスト当日。

 

これでダメなら終わり、

半年後まで留学はお預けです。

 

そう思えば思うほど、、、

過去のトラウマが蘇り下痢ピー祭りになるんじゃ・・・

 

そう思っていました。

 

ですが、この日は違ったのです。

 

『これでダメなら無理で良い。それが今の実力だ』

 

そう思ったのです。

 

テストは緊張せず、

今までにないほど簡単に感じました。

 

それでも落ちている可能性はあるので、

落ちていたら次へ走らないといけません。

 

だから、勉強を続けてました。

 

そうして迎えた発表日。

 

朝起きて、2階からダッシュで降りて

パソコンの前に勢いよく座りました。

 

そこまでは凄い勢いだったのに、

パソコンの前に座った瞬間から

 

全てがスローモーションに思えました。

 

パソコンの電源を押して、

ゆっくり立ち上がるwindowsの画面

 

自分の受験番号を入れた瞬間に、今後の道筋が確定する。

 

そう思えば思うほど、

信じられないほどの緊張が襲ってきました。

 

口の中がカラカラになり、

心拍数も自分で感じられるほど凄いのです。

 

出来れば見たくない。でも見ないといけない。

 

そんなことを、

ゆっくり立ち上がるwindowsの画面を見て考えていました。

 

そうしてやっと開いた画面の

インターネットをクリック。

 

サイトを開いて自分の受験番号を入れる訳です。

 

人差し指1本で、1文字ずつ、

めちゃくちゃ丁寧に入力をしました・・・

 

入力が完了し、あとはクリックだけです。

 

このクリック、

この1クリックで全てが決まる。

 

そう思うほどに緊張し

とてもじゃないけど、目なんて明けていられません。

 

だから目をつぶって、

頼む!!!!と願いながらクリックしたのです・・・

 

カッッッッッッッチッッッッッッッッッッッッ

 

クリック音が頭の中で響き渡りました。

 

あんだけ頭の中でクリック音が、

反響したのは人生で後にも先にもあの時だけです。

 

目をゆっくり開けてみると、

そこに表示されていた点数は・・・

 

73点

 

合格点が72点・・・

そう、1点差での合格でした。

 

よっしゃーーーーーーーーー!!!!!!

 

そう叫ぶことは、出来ませんでした。

 

もう、叫ぶような声を出す前に、

涙が流れて声なんて出なかったのです。

 

クソみたいな僕が、

人生で初めて、自分でつかんだ成功でした。

 

自分も頑張れば、必死こけば、

なんとか成果を手にする事ができる。

 

そう感じられたことが、何より嬉しかった。

 

そして、同時に僕は知ったのです。

 

かつて、

僕をどん底へ引っ張った緊張。

 

この緊張とは、『やりきった!!』

そう思えない不安から出る物であることを。

 

そうして初めての成功を手にし、

僕はアメリカへ旅立つ事になります。

 

第3章:大人になるって、セコくなることなのか!?

死に物狂いで勉強した結果、やっとのことで掴んだ合格。

 

初めて掴んだ成功体験です。

 

これで、もっと成功するぞ!

 

ここからが本番だ!

 

その意思を打ち砕くほど、

 

英語は通じないわ、

授業には追いつけないわ、

 

毎日勉強に追われるわ。で、余裕はありません。

 

父親が医者です。

 

そう言えば、金持ちの生活を想像するでしょう。

 

ですが、僕は逆でした。

毎日使ったレシートを、

管理して月末に報告しなければいけなかったのです。

 

計算が合わなかったら、怒られます。

普通の大学生が

普通に送れる生活すら僕は送れませんでした。

 

お金がなかったから。

 

だから、

毎日を、つまらなく生きてました。

 

夏休み帰ってきても、毎日バイトです。

 

アメリカから帰ってきても

バイトバイトバイトの毎日。

 

テレアポのバイトをしてましたが、

繁忙期だからって、3ヶ月でも働かせてくれました。

 

短期でそんなにガッツリバイトできるところはそこしかありませんでした。

 

お金が欲しかったです。

 

お金で少しでも自由が買えるなら、

そのお金を少しでもアメリカに持っていきたい。

 

そう思って働きまくってました。

でも、バイトしてまもなく

胃痛が凄まじく、バイトを早退することになります。

 

あー、給料が減る。。。

そんなこと感じながら、トボトボ帰りました。

 

痛すぎて歩けません。

 

家に帰る頃には激痛はさらに増し、

普通に歩ける状態ではなくなってました。

 

翌朝まで、その痛みは続き本気で死ぬほどもがきました。

 

さすがにやばい・・・

そう思って病院行ったら即入院。3時間後に手術です。

 

そう医者から言われました。

 

盲腸だったのです。

 

おおおおおいい!!!バイト代減るじゃねえか。

 

いつ退院できますか?

3日で退院できますか?

 

そんなアホな質問を激痛があるのにも、関わらず質問してました。

 

それほど僕は自由が欲しかったのです。

夏休みの全てをバイトに捧げるときめていました。

 

お金を得るために全てを捨てる。

 

そう覚悟して友達とも飲みに行かず、

毎日家とバイト先との往復でした。

 

頑張ってるのに報われない。

 

なんでいつも俺ってこうなんだろう。

 

ずっと思ってました。

そうして5日ほどしてバイト先にやっと戻りました。

 

今の手術って縫わないんですよね。

 

切った部分をノリみたいなのでくっつけて、

抜糸がないから、次回くるのは1週間後で傷口見せてってそれだけです。

 

まだ普通には歩けないし、

咳をしたら死ぬほど痛いけど、バイトを再開しました。

 

腹痛から苦しみもがきやっと戻った!

と思ったのに、なんかおかしいのです。

 

そうです。

職場の上司の態度が異常に冷たいのです。

 

意味がわかりませんでした。

は!?なんでこんな冷たくなってんの?!と。

 

だから、上司に聞きました。

なんかみんな素っ気なくないですか?と。

 

そしたら、凄まじい回答が返ってきました。

 

『当たり前でしょう。

繁忙期にバイトで入ってきたのに、いきなりいなくなっているわけだから。

 

ったく、バイトのくせに盲腸なんかで休みやがって。』

 

と。

 

いやいやいやいやいや、

ちょっと待ってくれよ。入院ですよ?

 

じゃあ、盲腸だったのに、

激痛で、今日入院しないと破裂して死んでも知りませんって。

 

医者に言われるレベルまで行ってたのに、

それでも関係なく仕事場に迷惑をかけるな!?と!?

 

耳を疑いましたね。

職場ってそういうところなのか。

 

会社の利益の為に新しい人格作って、

人をコマとして見てコキ使うことを平気でする。

 

それが正しい会社員なのか?

 

大人になるって・・・せこくなることなのか・・・?

 

そう本気でおもいました。

 

それから、

一応その上司とは、謝ったことでわだかまりもなくなり、

 

最終的には長女を紹介させて欲しいって言われたんですが。。。

 

丁重にお断りしました笑

 

これを機に、

社会に出るということを怖く思うようになりました。

 

これまでアホだったから、

自分の言いたいことも我慢してきました。

 

大学でも、お金がなかったから、

したいことも我慢してきました。

 

自分らしく生きるなんて、

そんな贅沢なことは求めてません。

 

ただ、僕は少し自由が欲しかった。

それだけの話だったのです。

 

大学を卒業すれば大人の仲間入り。

そうすれば自分で稼いで自由になれる!

 

僕はそう思ってました。

ですが、

世の中甘くみすぎてたのかもしれません。

 

あぁ、大人になっても

自分は自由になれないんだなって痛感しました。

 

そんなことは言っても、

とりあえず稼がないことにはアメリカに帰っても、少しの自由もありません。

 

大学生活で少しの自由もないのは耐えられない。

だから、残りの期間も必死で働きました。

 

友達との飲みも断り、、昼ごはんも安く済ませ、

徹底してお金を稼ぐことだけをしたのです。

 

そうして、三ヶ月のバイトが終わりました。

 

そして、アメリカにいよいよ帰り、

僕の人生は、友人の一言で変わる事になるのです。

すげえぇえぇえええ!これで自由だ!!

アメリカに帰国後は、毎日、勉強、勉強、勉強です。

 

大学生の仕事は勉強なので、

それだけならまだ良かったかと思います。

 

ただ本当にど田舎なので、

息抜きする術が全く存在しない・・・

 

そんな姿を見かねてルームメートが、

隣の州に息抜きにと連れてってくれたのです。

 

僕が住んでいたド田舎の州の隣は、

全米でも有名なミネソタ州・・・

 

アメリカで1番大きなモールが存在する、

田舎民からすれば東京みたいなものです。

 

いつも田舎で貧しい生活をしてる訳で、

もう行くだけで気分が高揚してくる訳です。

 

おぉ!!これが全米一のモールかぁ!と。

 

もちろん、そんなところで何かを

買えるお金なんて無いんですよ。

 

でも、良いんです。

見てるだけで楽しい。

 

こんなでっかいテレビ家にあったら、

バスケとか超鮮明に見れるんだろうなぁ!

 

なんて考えられるだけで楽しかったのです。

 

もちろん、

欲しくなかったか?と言われたら、

そりゃあ、めちゃくちゃ欲しかったです。

 

でも、買えないから、お金がないから、

なんとかしてこの場を楽しもう!!って

 

苦し紛れに出した策・・・

それが見て楽しむってことでした。

 

でもね・・・やっぱり我慢しても

欲しくなっちゃうんですよね・・・

 

どんだけ我慢をしていても・・・

何も買わないで帰るって寂しいんです。

 

だから帰りに型落ちとかB級品が売ってる

アウトレットモールに寄っていきました。

 

筋トレする為の道具を隣の州で買った!

 

たった10ドルそこらのものでも、

それが良い思い出になると思ったから。

 

これでもう楽しい時間は本当に終わり。

 

さぁ、帰るかぁ・・・

 

そう思った時に、

目に飛び込んで来たのです。COACHが。

 

あのブランドのCOACHです。

 

買えはしないけど、空気は吸える笑

金持ちの気分味わってから帰ろうww

 

と、友達と話して入った、この時から、

僕の人生は180度変わる事になるのです。

 

タイムセールで70%オフで並んでる

COACHのバッグや財布の数々・・・

 

僕にとって空気感から異世界で、

買うなんて頭にありませんでした。

 

だから値札なんて見てなかったのです。

 

でも、一緒にいた友人が値段を見て

ぼそっと一言、こう言ってきたのです。

 

『これ、日本に売ればいいじゃん』と。

 

この瞬間の・・・この一言から・・・

僕の人生が違う方向へと動き出したのです。

 

アメリカで仕入れて日本に販売する。

 

天才だな!と思いつつも、これで

自由を少しでも得られるかもしれない!

 

そう興奮した僕は、

すぐさまバッグと財布を計4つ買いました。

 

合計12000円。大出費です。

売れなければ、更に食事が質素になる。

 

たった1万そこらかもしれません。

でも、僕にとっては1つの賭けでした。

 

だったら、何が日本で売れているのか?

それを見てから仕入れるのが普通です。

 

ですが、日本で売れてるなんか知りません。

 

自由になりたい!その感情から

僕の身体はもう勝手に動いていたのです。

 

『おいおい、これで売れたら、

マジでうまいステーキ奢るわ!』

 

なんて意気揚々と帰宅して調べると

ヤフオクで売れていることを発見。

 

僕もアカウントを取得し販売すると

2時間で全てが売れていきました・・・

 

これだけで1万も稼げたのです。

 

『すげぇえええええええええ!!!』

 

僕は遂に見つけてしまったのです。

僕が望み続けた自由を、見つけてしまったのです。

 

自分で稼げるなら、比較されることもない。

 

自分の思ったように、

自分らしく生きることが出来る。

 

自由を見つけた僕は、

勢いのまま休学をし、日本に帰国します。

 

その後、

一度は失敗し貯金38円にもなりました。

 

でも、そこから這い上がり、

1年後に会社を立て社長になりました。

 

そして、

4年で1億2000万を稼ぎたしたのです。

 

4年で1億・・・胡散臭いですね。

自分でも書いてて思います。うさんくせぇ。と。

 

ただ、今の僕にとって、

この売上を作り出すことは普通である。

 

それもまた事実なのです。

第4章:日本の教育の酷さx福沢諭吉は、なぜ1万円札の顔なのか?

そもそも日本はお金の教育に関して、

義務教育において徹底的に避けます。

 

それどころか、

お金=汚い存在であると認識させます。

 

でも、

僕たちが生きているのは、資本主義社会なのです。

 

資本主義社会っていうのは、

資本を1番大事にする社会ということ。

 

つまり

 

誰がどう言おうと、

資本を持っている人が力を持つ。

 

それが僕たちの今、生きてる社会です。

 

何もお金を持っている人が偉い。

それ以外の人は従うのが当然だ!

 

そんなことを言ってるのではありません。

 

お金が中心としてある社会において

お金に関して教育をしないことがおかしいのでは?

 

と言っているのです。

 

しかも最悪なことに日本の教育は

徹底的に捻じ曲げて知識を与えます。

 

学校で福沢諭吉の言葉、

 

『天は人の上に、人を作らず。』

 

って言葉を、人間は皆、平等なのだ!

という意味だと教えられます。

 

ですが、この言葉の意味は、

皆、平等なんて意味じゃありません。

 

そもそもこの言葉はこう始まるのです。

『天は人の上に、人を作らずと言えり』と。

 

現代訳すれば、

人間は皆、平等って言うけどさぁ・・・

 

こう始まるのです。

 

そして、

この続きで福沢諭吉はこう言ってるのです。

 

人間は皆、平等って言うけどさぁ・・・

実際のところ皆、平等じゃないよね。

 

だって、実際に貧富の差があるじゃん。

 

じゃあ、なんで貧富の差があるか?

って言ったら勉強してる人としない人がいるからだよね。

 

だから、

貧乏だと思ったら勉強をしないといけないよね。

 

沢山勉強をして知識をつけて、

頑張ったら報われる社会でもある。

 

自分の努力がしっかりと反映される。

 

そういう意味では、

資本主義社会っていうのは平等なのかもしれないよねぇ。

 

って言ってるのです。

 

つまり、貧富の差を感じるのであれば、

貧乏人は勉強をして、その穴を埋めなさい。

 

という

資本主義バリバリの考え方を持つ人なのです。

 

だから1万円札の顔になってるのです。

 

それを日本の教育を捻じ曲げて教え、

人間は皆、平等であると教えるのです。

 

そして、ましてや

お金というものが汚いと教え続ける。

 

富を持つ者は、その富を使って

人の時間を買い、自分の時間を増やす。

 

これが会社の仕組みです。

 

1日24時間だけしかない富を持たぬ者と

時間を買い増し無限増幅させる富を持つ者。

 

そりゃあ、

貧富の差が開くに決まってます。

 

『人の時間を買うにはお金が必要』

 

だからこれまでの資本主義において

資本、つまりお金を持つ人は強かったのです。

 

ですが、

それを破壊したものがあります。

 

『インターネット』です。

 

Youtuberがなぜ、あそこまで儲かるか?

それは動画が自分の分身として働くからです。

 

5分で撮った動画が24時間365日、

自分の分身として働き続けるのです。

 

僕もyoutubeだってやってますが、

たった3~4ヶ月で登録者が1000人超えようとしてます。

 

僕が1日何をしてようが、寝てようが

1日に150時間再生されていくのです。

 

ネットに自分の分身を作ることで、

自分の時間を無限に増幅させる事ができる。

 

つまり、資本を持つ金持ちと同じ事を、

個人レベルで今の時代は出来るのです。

 

だから、

youtuberがあそこまで儲かるのです。

 

でも、これって見方をかえれば、

 

『資本を持つ強さが弱くなってきている』

 

こうも見て取れます。

 

資本があったからこそ出来たことが、

資本がなくても出来るようになる。

 

もちろん、

持っていたほうが有利なのは事実です。

 

ですが、その差は間違いなく、

縮まってきているってことなのです。

 

じゃあ資本の威力が弱まった今、

次に、重要になる力は何なのか?

 

それが、影響力です。

 

かつて戦後の日本っていうのは、

物資が足りず何もない時代でした。

 

便利にし生活基準を上げる為に、

商品を作れば飛ぶように売れたのです。

 

つまり、これを作れば皆が買う。

という正解があったということです。

 

ですが、生活も便利になり、

一通り揃った今ってどうでしょう?

 

物が溢れすぎています。

 

あれがほしいって人もいれば、

いや、私はこっちがほしい。って人もいる。

 

つまり、正解が存在しないのです。

 

こうなると問題です。

日本はそういう教育をしてないからですね。

 

日本の教育っていうのは

複数の選択肢のうち1つを選びなさい。

 

って事を教育として指導します。

 

何を作れば売れるのかがわかる。

正解がある時代であればそれが通じました。

 

ですが、今の時代っていうのは

さっきも書いたように正解がないのです。

 

つまり

 

4つの選択肢のうち正解を選びなさい。

って問題の回答が実は2つありましたぁ!

 

とか、全部が正解でしたぁ!

ってことも出てきてしまうのが今なのです。

 

さすがに、これはヤバイ。

 

ってことで2020年から教育を変更し、

自分で考えて回答を導き出してくださいね!

 

って方針になります。

 

要は自分で情報を収集しまとめ上げ、

自分で考えて答えを出す情報編集力をつけてね。

 

って話なのです。

 

今の時代なんて物が溢れすぎてて

似たような物も死ぬほど存在します。

 

そんな中で、

4Kのテレビです!とか言われても

 

『やば!!超ほしいんですけど!!』

 

なんて思いませんよね。

 

『へぇ!そうなの?で?』って思われて終わりです。

 

物欲が満たされた世界において、

人が買うのは商品という『モノ』じゃないのです。

 

その商品を得たことによって、

これから経験できる『コト』を買うのです。

 

iPhoneのCMで画素数がやばいよ!

なんてスペックは一切伝えません。

 

そのカメラを使った事によって、

いかに美しい写真や友達との楽しい時を刻める動画が撮れるか?

 

買ったことによって経験出来る

未来像だけを徹底して見せるのです。

 

そのためには、

かりやすく、面白く伝える。

 

情報を編集する能力が必要なのです。

 

だから、

教育方針も変更をかけてきてるのです。

 

面白く、わかりやすく情報を編集できれば、

この人の動画とかブログってなんか面白い!

 

そうやって、

人に影響を与えることが出来る力に繋がるのです。

 

Youtuberやブログで稼ぐ人が増えてるのも、

情報を面白く編集して世の中に出してるからにすぎません。

 

希少な情報を持つ事に価値があった資格も

ネットで調べればなんでも出る時代に価値はないのです。

 

大事なのは、その特殊な知識を保有する事でなく、

どうやって自分はその知識を使う事ができるのか?

 

つまり、

 

得た知識をどう料理(編集)出来るのか。

それを見せることが大事になってくるのです。

 

ましてや物が全然売れないと言われる時代に

 

それが良い!

 

そう人々に使えることができる

影響力を持つ人が必要とされるのは必然です。

 

これは個人でレベルであろうと、

会社に属していようと関係なく必要な力なのです。

 

だから僕は影響力を持つ人を増やしたい。

そう思ってブログやメルマガを書いてます。

 

で、こんなことを書くとですね、

どーせ稼ぐ方法を教えて情弱から金巻き上げてんだろ。

 

とか、

 

自分が稼げなくなったから、

ビジネス教えて高い金額貰ってるんだろ?

 

とか言う人がいるんですが、

それってビジネスの根本を理解してません。

 

そもそもなんですが、

ネットビジネス=ビジネスを教えること

 

って思っている人がいるんですが、

ネットビジネスって、ネットを活用したビジネスですからね。

 

Amazonもネットビジネス、

ソフトバンクもネットビジネスだし、

 

DAZONEとかオンデマンドサービスも全部、

ネットビジネスの括りに入るのです。

 

でも、ネットで稼ぐ方法教えます!

とか意味不明な広告が出回るから歪みが生じるのです。

 

そりゃ自分で稼いでる方法教えれば、

ライバルが増えて飽和するに決まってます。

 

あたり前の話です。

 

僕が言ってる編集力っていうのは思考の話です。

 

皆が人気のツアーに群がれば、

争奪戦が生まれるし、行ったら行ったら混んでるし、楽しくありません。

 

稼ぐ方法を教えます。

っていうのはこれに似てます。

 

僕が言ってるのは、

自分でプランを作る力をつけようって話です。

 

ツアーにいくんじゃなくて、

自分でプランを作る能力を身につけられるなら

 

十人十色でいろんな旅行プランができます。

10人から100通りのプランができるかもしれません。

 

つまり、市場を奪い合うのではなく、

これは市場を自分たちで作り出してるのです。

 

本来はビジネスってこういうものなのです。

 

ただ、一部の意味不明な人たちが、

変に暴れるから業界全体が歪むって話です。

 

あくまで僕が目的としているのは、

影響力を付ける為の思考力を身に着けよう。

 

そして、

 

効果のないサプリが広告打てば売れるとか、

そういう意味のわからない世界ではなくて、

 

当たり前に良い商品を売ることができ、

当たり前に良い商品が皆の目に止まる。

 

そんなあたり前の環境を作るために、

自由に商品を売れる影響力を身に着ける人を増やしたい。

 

って話なのです。

 

じゃあ、どういった知識を入れて

どうやって考えたら良いのかって思考を、また今後ここに書こうかなと思います。

 

あと、メルマガでも僕の思考に関して、

具体的に話してるので、学んで見て下さい。

 

お金持ちが何故モテるのか?って聞かれて、

お金を持ってることが理由だと思ったのであれば、非常に学びになるはずです。

 

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それでは、

最後までお読み頂きありがとうございました!