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留学1億円事件から1億稼いでみて。僕の行動理念と目的について

はじめまして、ICHIです。

僕は2011年からビジネスを始めました。

今は月に4000万稼ぐこともあるし、
稼ごうと思えば自由に利益を生み出せる力を手に入れました。

とは言っても特殊技術ではなくて、
お金持ちから学んだだけの話です。

お金持ちの子供は金持ちになります。
それは遺産を相続するということではなくて、

その子供も、
お金を生み出す能力を有してる。

ということです。

お金持ちの子供は親の教育により、
お金持ちになるべくしてなってるわけです。

成るべくしてなるってことは、
お金持ちになる方法があるってことです。

だから、
僕はお金持ちから学んだだけなのです。

今はその学んだ知識を活かして利益を生み出したり、
企業にアドバイスをしたりもしています。

サラリーマンだったのに

年商で億に行く人もうじゃうじゃいますし、10億の企業の指導を行うこともあります。

こんなことだけいうと異世界で、
才能があったんじゃ。。。って思うかもしれません。

が、ビジネスに才能なんていりません。
これだけは1番最初に言っておきます。

そもそもビジネスはもとより、
日本はお金の教育を学校機関で教えません。

教わってないならできるわけがないのです。
ですが、逆に言えばまなべばよいだけです。

そこで今回は、
僕がいかにして今の立ち位置まで来たのか?

その軌跡をお話ししたいと思います。

0点連発の小学生、バカさがコンプレックスに

僕の家族は一般的にみれば裕福な家庭。
そう見えるかもしれません。

それは、父親が医者だからです。

側から見れば父親が医者で、
裕福な家庭で羨ましく思えるでしょう。

ですが、この環境こそが、
僕の心を少しずつ蝕んでいくことになるのです。

小学校の頃から僕は勉強なんてしたくなく、
毎日放課後は友達とずっと遊んでいました。

毎日毎日遊びまくっているわけなので、
当然ながらテストの点数も凄まじく悪い。

小学校なのに0点を連発してました。

普通に0点取るだけなのであれば、
別に何も思うことがなかったとおもいます。

自分は自分でいいし、勉強なんて!
って気持ちで入れたかもしれません。

ですが、僕はそうなれなかったのです。
兄弟がいるからです。

姉、兄がおり、二人は常に100点。
その二人からすると僕は一人だけ落ちこぼれ。

そうなると徐々に言われるわけです。
なんで、お兄ちゃんお姉ちゃんはできるのに、お前はできないのか!と。

自分もわかりません。
ただ、単純に勉強が嫌いで外で遊んでました。

でも、なんでそんなに点数が低いのか
自分でもわからなかったし、いつかテストの点数っていいのを取らないといけないんだってこわくなりました。

悪い点数のテストはマンホールに捨てて隠す。
そんなことをやって過ごしてました。

でも、それでもどんどん居場所がない感じは小さいながらに感じてました。

一人だけ勉強ができないし、
テストを見せれば比較されて怒られる。

父親が医者だから。兄と姉がいるから。。。
自分は本当はいちゃいけないのかな。って居場所がなくなってる感じがしました。

自転車もお下がり、服もお下がり、
それが嫌で嫌で小学校6年生のときの、宿泊研修で、カバンを買って欲しいって泣いたことを覚えてます。

それだけは、何としても欲しかったんですよね。
周りのみんなが格好いいバッグ買ってもらってたから。。。。

そんな小学校の時代を経て、中学校へ。

テストで平均90点!なのに先生に嫌われBランク!?

中学校に入っても相変わらず勉強はできず、
塾に入れられるとびっくりするくらい成績はかわりませんでした。

それに焦った親が違う塾へと僕を入れます。
それが、僕の転機となりました。

勉強ができなくてもいい。
だけど、出来ないで投げ出してはいけない。

そう教えてくれるために、
僕の横にテスト前の土日はずっと座って朝9:00‍から夜21:00まで、ずっと付き添ってくれてました。

もちろんそれだけじゃありません。

ほかの中学のミニスカ女子がいたので、
テストできたらモテるんじゃないかという、動機も実は持ってました。

先生すみません。。。笑

そんなことで勉強をして、成績も伸び、
テストの平均で90点は取れるようになりました。

90点以上取って入れば、成績は普通5です。

でも、オール5ではありませんでした。
態度が悪かったという理由です。

なんでテストじゃなくて、
先生の主観で点数に響くんだよ!と、

学校制度にめちゃくちゃ不満を抱きます。

3年間中学を過ごして、
最終的に得ることができたのはBランク。

まぁ進学校と呼ばれる高校にはいけるなぁ。
と公立高校を選択肢しました。

しかも第1志望でなくて、
さらに確実な98%合格と言われていた高校です。

受験がトラウマへ。努力なんて報われない

ですが、98%合格と言わた受験で、
まさかの2%に入る偉業を成し遂げます。

同級生からは大爆笑。
今でもネタにされて笑われます。

担任の先生や、塾の先生の顔も引きつってました。
あの顔を忘れることは一生ありません。

それほどに、脳裏に焼き付いています。
塾の先生には本当に申し訳ない気持ちでした。

せっかく頑張ったら報われるのかな。
自分も父親や兄や姉と比較されても、お前もできるじゃん。って言われるようになれるかなって。

思ってたのにぶち壊されました。

努力しても報われないなら、
最初から努力しなくていいと思い始めます。

結果、公立が落ちて入った私立校で、
210人中205位をとってしまうという。。。

もう少し良い順位かと思ったんですが、、、
流石に学年で一人だけ確率のテストで赤点だったのは焦りました。

自分より下やぁ!!お前もアホだなぁって

言ってる人が70点取ってるのを見て、あぁ、俺終わってるわって思いましたね。

 

わかってました。

下を見ても意味がないってことは。

 

でも、心の拠り所を見つけるために、
俺よりも下がいるって思えるだけで少し楽になれたのです。

成績はボロボロ。何もやる気はおきない。
ただ帰って部屋で何もせずに一日終わり。

携帯も当時は二つ折りのガラケーで、
なんもすることなんてありません。

パソコンもノートパソコンみたいなのなんて、
当時はまだ普及してませんでした。

THE 廃人。

そんな高校生活を送ってる僕は、夢を持ちます。
パイロットです。

パイロットになるためには英語が必要!
そう思ってめちゃくちゃ勉強しました。

もうめちゃくちゃしましたね。英語だけ。
そしたらトップになりました。

英語だけやってたのでそれはトップになるはずです。
他はほぼ全部赤点です。笑

結局、受験には間に合わず一浪。
一浪して、98%合格と言われる明治を受けました。

はい。もう想像つくと思います。
また、落ちました。

終わってますよね。

もう完全に自信が崩壊しました。
希望なんてそんなものありません。絶望です。

何をやってもうまくいかない。
頑張ったのかと思ったら、試験で落ちる。

なんだこれ。。。
なんでいつも俺はこうなってんだ!?

そう思えば思うほど、
劣等生の自分の居場所はますます無いな。。。

と思うようになったし、
自分の居場所が家にはもうない気がしました。

何をやってもうまくいかない。
そんな時に転機となる出来事があります。

それが留学。

大学生の僕が知った、大人の世界の不自由さ

死に物狂いで勉強した結果、なんと合格することができました。

初めて掴んだ成功体験です。
これで、もっと成功するぞ!

ここからが本番だ!

そう思うも英語は通じないわ、
授業には追いつけないわ、毎日勉強に追われるわ。で、余裕はありません。

父親が医者と言ったら、
金持ちの生活を想像するでしょう。

ですが、僕は逆でした。
毎日使ったレシートを、管理して月末に報告しなければいけなかったのです。

計算が合わなかったら、怒られます。
普通の大学生が普通に送れる生活すら僕は送れませんでした。

お金がなかったから。

でも、その問題を解決しよう!
とすら思ってなかったんですよね。

考えればよかったのに。。。

だから、
毎日を、つまらなく生きてました。

夏休み帰ってきても、毎日バイトです。
アメリカから帰ってきてもバイトバイトバイトの毎日。

テレアポのバイトをしてましたが、繁忙期だからって、3ヶ月でも働かせてくれました。

短期でそんなにガッツリバイトできるところはそこしかありませんでした。

お金が欲しかったです。
お金で少しでも自由が買えるなら、そのお金を少しでもアメリカに持っていきたい。

そう思って働きまくってました。
でも、バイトして、まもなく胃痛が凄まじく、バイトを早退することになります。

あー、給料が減る。。。そんなこと感じながら、トボトボ帰りました。

痛すぎて歩けません。家に帰る頃には激痛はさらに増し、普通に歩ける状態ではなくなってました。

翌朝まで、その痛みは続き本気で死ぬほどもがきました。

さすがにやばいと思って病院行ったら盲腸です。即入院からの三時間後に手術。

おおおおおいい!!!
バイト代減るじゃねえか。

いつ退院できますか?
3日で退院できますか?

そんなアホな質問を激痛があるのにも、関わらず質問してました。

それほど僕は自由が欲しかったのです。そのために夏休み、バイト以外の全てを捨てていました。

自由が欲しかったから、
お金を得るために全てを捨てる。

そう覚悟して友達とも飲みに行かず、毎日家とバイト先との往復でした。

頑張ってるのに報われない。
なんでいつも俺ってこうなんだろう。

ずっと思ってました。

そうして5日ほどしてバイト先にやっと戻りました。

今の手術って縫わないんですよね。

切った部分をノリみたいなのでくっつけて、抜糸がないから、次回くるのは1週間後で傷口見せてってそれだけです。

まだ普通には歩けないし、
咳をしたら死ぬほど痛いけど、バイトを再開しました。

腹痛から苦しみもがきやっと戻った!
と思ったのに、なんかおかしいのです。

そうです。
職場の上司の態度が異常に冷たいのです。

意味がわかりませんでした。
は!?なんでこんな冷たくなってんの?!と。

ただ、ここは僕の長所の1つですが、
とりあえず聞いてみようスタンスなのです。

だから、上司に聞きました。
なんかみんな素っ気なくないですか?と。

そしたら、凄まじい回答が返ってきました。

『当たり前でしょう。
繁忙期にバイトで入ってきたのに、いきなりいなくなっているわけだから』と。

いやいやいやいやいや、
ちょっと待ってくれよ。入院ですよ?

じゃあ、盲腸だったのに、

激痛で、今日入院しないと破裂して死んでも知りませんって。

医者に言われるレベルまで行ってたのに、
それでも関係なく仕事場に迷惑をかけるな!?と!?

耳を疑いましたね。
職場ってそういうところなのか。

大人になるってそういうことなのかって、本気でおもいました。

それから、一応その上司とは、
謝ったことでわだかまりもなくなり、最終的には長女を紹介させて欲しいって言われたんですが。。。

丁重にお断りしました笑

これを機に、
社会に出るということを怖く思うようになりました。

これまでアホだったから、
自分の言いたいことも我慢してきました。

大学でも、お金がなかったから、
したいことも我慢してきました。

自分らしく生きるなんて、
そんな贅沢なことは求めてません。

ただ、僕は少し自由が欲しかった。
それだけの話だったのです。

大学を卒業すれば大人の仲間入り。
そうすれば自分で稼いで自由になれる!

僕はそう思ってました。
ですが、世の中甘くみすぎてたのかもしれません。

あぁ、大人になっても
自分は自由になれないんだなって痛感しました。

そんなことは言っても、
とりあえず稼がないことにはアメリカに帰っても、少しの自由もありません。

大学生活で少しの自由もないのは耐えられない。

だから、残りの期間も必死で働きました。

友達との飲みも断り、、昼ごはんも安く済ませ、
徹底してお金を稼ぐことだけをしたのです。

コンビニのジュースって140円結構たかいですよね。笑

全く関係ないですが。。。

 

そうして、三ヶ月のバイトが終わりました。

9:00-18:00までの勤務以降は残業になり給料も上がります。

 

なので一日12時間働きテレアポで喋りまくっていました。

 

そんな稼いだお金を握りしめ、
アメリカにいよいよ帰ることになります。

友達からの飲みの誘いも全て断り、
朝から晩までバイト、バイト、バイト、バイト!!です。

 

そのご褒美に僕は1つだけ決めていたことがあります。

それは好きな食品を死ぬほど買って帰るってことです。

 

僕が住んでいたアメリカの州はど田舎で、
日本食はあるけど、めちゃくちゃ高いのです。

そんなのとてもじゃないけど食べれません。

だから、僕はアメリカで食べるための
ラーメン、味噌汁、カルピス、欲しいもの全て入れ込みました。

それはもう、大量でスーツケース2つがパンパンになるほどです。

合計金額3万。

たけぇええええ!!と思いつつも、
めちゃくちゃ楽しみに帰ることになります。

しかし、
シアトル空港を経由して帰る。

その時、事件が起きるのです。

はい。持ち込めないと。
食品を持ち込めないと。言うのです。

カップヌードルの裏に、牛って書いてる。こっちのカップラーメンは、鳥って書いてる。

おいおい、なんでアメリカ人なのに、牛、鳥、豚だけ読めちゃってんだよ。

どんな特殊訓練受けてんだよ。って本気でキレたくなるほど、腹が立ちました。

必死に働いたお金です。
楽しみにしてたラーメンです。

なのに全部捨てろと!?

FUUUUUUUUUUCCCCCKKKK!!!!

映画とかで聞いたことがあるでしょう。
ファック!!!って言う日本語で言えば、クソ!!!みたいな言葉です。

自分が人生でいうと思いませんでしたね。
ですが、最上級に怒り狂った僕の口からは出てしまいました。

本当は検査官は悪くないんですけどね。。。

Whats the fuck is the problem!!
You guys just want to eat janaonse noodle, DONT YOU !!!!

何が問題か言ってみろ!えぇ!?言ってみろよ!
お前が日本のラーメン食いたいだけだろうが!そうだろうが!

はい。すみません。
絶対にクソ日本人だと思われました。

でもそれくらい頑張って働いたのに、捨てられるのが悔しかったのです。

どうしていつも俺ってこうなんだよ。。。

って、あまりに泣きそうな顔を見てなのか当時19才の僕の可哀想な顔を見て、検査官はチェダーチーズ味のカップヌードルを2つ。。。残しておいてくれました。

それを到着してから知った僕の、
複雑な気持ちたるや。。。涙

そんなことをして無事アメリカに帰国するも、
当たり前ですが余裕がある生活なんて送れません。

稼いだお金とはいっても次の夏休みまで、一年。使えるお金はたかが知れてます。

ちなみにアメリカの大学って夏休み3ヶ月もあるのに、冬休み2週間でした。バランス。。。

大学戻れば勉強勉強勉強!
平日は勉強で休日も自由もない。

そんな時な息抜きに、
となりの州に行きました。

初めて2時間で稼げた9000円で大学の休学を決意

ルームメートが車を持ってたので、
連れてってくれたんです。

とは言ってもなんかできるお金があるわけでもなく、最後に寄ったのはアウトレットモール。

ここでの出会いが僕の人生を変えました。

アウトレットモールには、
ブランドのコーチが入ってました。

買うことなんてできません。
でも、匂いなら嗅げるじゃんってことで入ったのです。

タイムセールで通常の70%オフ!
12000円の財布が3000円でした。

買うつもりのない僕は、
値札なんて見ていませんでした。

だから、知りませんでした。

でも、
ルームメートが値札を見てこう言ったのです。
これ、日本で売ればいいじゃん。

天才です。
そんなことよくも思いついたな。と。

アルバイトの禁止されてるアメリカで、
お小遣いを稼げるなら神じゃねぇか!!

自由な生活が少しは入る!

社会人になれば、自由はないかもだけど、
卒業までは少しは自分のしたいことできるんじゃないの!?

そう興奮した僕はバッグ2つと、財布2つをかいました。

忘れもしません。
1番最初に売れたのは白いコーチのバッグ。

トートバッグです。
偽物の場合はどうなりますかって質問がヤフオクから来たことすら覚えてます。

2時間で全部売れて利益が9000円。
価値観が崩壊しましたね。

今まで悩んでたお金のことってなんなんだ!?と。

バッグたくさん売ったら10万稼げるじゃんと。

それから没頭し、僕は初月で15万稼ぎます。

そこから、
のめり込み4年で1億2000万稼ぎました。

 

年収は2年目から1000万を切ったことはありませんし、今後も着ることはあり得ません。

 

それほどお金をどう生み出せるのか?
僕は知ってしまったからです。

知ってしまったということは、
方法としてあるということです。

 

今では月に4000万稼ぐこともあります。

明日、京都に行こうって言って飛行機を取り、
ホテルが3万しようが、4万しようが泊まって観光します。

そんなことをして、
一年で旅費に700万使った年もありました。

調子に乗って
天狗になってることもありました。

ずっと教わっていた先生に、
調子に乗りすぎてキレられたこともありました。

土下座しようと謝りに行きました。

今は落ち着き、お金を生み出す仕組みを作り、
年商で10億企業にしたいと思ってます。

カレー屋も作りたいし、カフェも作りたい。
ネットでのビジネスもどんどん拡大させたい。

やりたいことは無限にあります。
ですが、時間には限りがあります。

そう、時間には限りがあるのです。

だからこそ、
あなたにも自分らしく生きて欲しいと思ってます。

僕が指導されている人に言われて、
1番記憶に残っている言葉が1つあります。

大人になったら大人になると思ってた。
だが、歳をとってわかったのは、子供が大きくなっただけだった。

そう言われたのです。

歳をとったら大人になる。

それは考え方も成熟されていき、
昔の時みたいにバカなことをしたい!!

なんて思わなくなるだろうと思ってました。

旅行にいつも行きたいとか、友達とバカしたい。
なんて思わないと思っていたのです。

ですが、歳をいくつ重ねても、
やりたいことは子供のままです。

 

友達と笑ってアホみたいなことやったり、
旅行ではしゃいでみたり・・・

 

やりたいことは、
いつまでたっても変わる事はありません。

 

いや、むしろ増えているとさえ思ってます。

 

でも、旅行に行くにしても、何をするにしても
お金が、時間が、会社がって時間がつきまといます。

 

やりたいことは子供のころのようにある。
でも、いつか僕達はそのやりたいことを、出来なくて仕方ないのない事だ。

そう思い込み蓋をするのです。

 

出来ないことではないのです。

ただ、それを可能にする手段を知らないのです。

 

ビジネスって言葉を聞くと、
なんか難しく感じますよね。習ったことも無いですから。

ですが、ビジネスはシンプルなのです
それを僕はこのブログを通して伝えたいのです。

 

そして、最終的には、
あなたのやりたいことをやってほしい。

 

そう思ってます。

 

やりたいことを我慢したりとか、
お金のせいで我慢をしたりとか、

 

そうではなく、

『自分らしく生きていい』

ってことを思えるようになってほしいと思ってます。

 

その為の1つの選択肢として、
ビジネスがあるという位置づけなのです。

 

僕は北海道地震を経験しました。

たった数日停電になっただけで何もできない。
食料もない、風呂にも入れない。トイレは使えない。

 

人間の無力さを思い知りました。

そして、同時にいつ死ぬかわからない。ってことも。

 

だから、後悔はしたくありません。

『自分らしく生きて良かった』

そう、思い人生を終えたいと思ってます。まだ考えるには早いですが・・・

 

震災を経験するということは、
それくらいの衝撃的なものだったのです。

 

『自分らしく生きていい』

 

それが人生だと思っていますし、
ビジネスが出来ればそれが可能になるのです。

 

今、ビジネスをやってないのなら、
ビジネスなんてできないって思うと思います。

僕もかつて思ってました。

でも、人間たいていのことは、
出来ないのではなくてやってないだけなのです。

 

子供の時は、出来ないことを、
やれるようになるまでがんばるはずです。

そうして徐々に徐々に、
出来ないことができるようになったはずです。

 

でも、大人になるにつれて、
私はそんな才能がないって思い込むのです。

私、出来ない。と。

今、出来ないだけなのに・・・

 

こんな流れを書いていると、
ICHIは文章も書けるし頭が良かったからだ。

って思うかもしれません。

 

でも、僕は留学していたせいで、
日本語の順番すら変になるレベルでした。

昨日、祭りに行ってきた。を、
祭りに行ってきた昨日。と書くレベル・・・

 

それでも本を何度も何度も読んで、
日本語の勉強から再度徹底してしました。

 

そんなものなのです。

正しい知識を入れれば
ビジネスなんてすぐにわかるようになるのです。

 

ましてや皆、敬遠するから、
学べば頭1つ出る不思議な世界でもあります。

知識と思考がちょっと入れば、

あぁ、お金持ちの人は、
そんなことを考えて日々生活してるのか!

えぇ!この商品って、
こうやって世の中に広まったのかぁ!!

って今と見える世界は全く異なり、楽しくなるのです。

結局ビジネスを
日本人は幼少の頃に学ぶことはありません。

というよりも、
教えてはいけない事になってるのです。

 

それではわからないのは当然ですし、
逆に学べばわからない訳がありません。

学べば学ぶほど、お金は入ります。

お金が手に入れば自由が手に入ります。

お金や自由な時間が手に入れば、
やりたいことも自由に出来ます。

 

人生はどんどん豊かになるのです。

 

そのために僕はこのように、
情報をどんどん発信しています。

ぜひ、『自分らしく』生きる為の
手段としてビジネスを学んでみて貰えればと思います。

 

さっき、
学校ではビジネスの教育をしてはいけない。

と書きましたが、
日本はお金の話を学校ですることはまずありません。

 

なぜそんなことになってるのか?とか、
メルマガでは、より具体的な話をしています。

 

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ICHI